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2014年3月19日 (水)

人は当然、変わるのだ。

養老孟先生の著書にはしばしばこの話が出てくる。

つまり、人は刻々と変化する、と。
「本当の自分」だとか「変わらない個性」だとかいうのは幻想だ、と。
だから、秘境に探しに行ってもないよ、って。
一方、「情報」は一度提示してしまうと変わらない。
だから10年前の新聞の社説は永遠に同じなのだ。
一般的な言われようと間逆だから、
一瞬、「おや?」と思うが、
よくよく考えてみれば当然の話。
生物学的に見ても、生き物は日々、死に向かって進んでいる。
どうりで、と思う。
過去の私について、親等から、
「あんたの子供のころの性格は・・・」
などと言われても、ちんぷんかんぷんなわけだ。
でも、情報は変わらないから、
「あんたはこんなことを言った」と言われたら、
「そんなことを言ったかもしれないが、
もうそのときの私の気持ちもわからないし、
状況もずいぶん変わってしまったから、
現時点での私には他人のように思えるくらいで、
そろそろ忘れてはくれまいか?」
とお願いするしかない。
昔の人は不必要な言葉を発しなかったというが、
面倒なことになるのがわかっていたのかもしれない。
口は災いのもと。
と、いいつつ、また情報を書いているのだが。

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2014年3月18日 (火)

梅の丘

家から歩いて5分ほどの所に、梅林の丘がある。

坂を上り切るとそこに、家が8軒ほど立ち並ぶ空間があり、その一番端にある。
晴れた冬にはくっきりとした富士山が見える。
そこの梅が満開である。
側を通るとき、梅の香がして、思わず鼻の穴を膨らましてしまう。
夫は、ピンク色の梅を見ると唾液が出るという。
梅ガムを思い出すから。
どこまで食い意地が張っているのだろうか。
「梅の木は食べないでよ」と言うと、
綺麗だとは思うのだけれど、身体が勝手に反応するのだからしょうがない、と。

昨日、いつものように梅の丘で立ち止まっていたら、
自転車に乗った2人のご婦人が通りかかり、ふと、降りた。
夕陽がまあるく、大きく梅の木を照らし出している。
しばらく見入っていたが、そのうちの1人が「そろそろ行かなくては」と。
するともう1人の60代半ばくらいのご婦人が、
「私はもう少し見ているわ」と。
「そうですか?」
「あなたまだお若いから。年取るとね、こういうのが良くて」
ピンク色の濃い枝垂れ梅の横に、薄ピンクの梅がある。
枝が上向きな薄ピンクの方が夫はいいと言うが、
私は枝垂れた方が好みかもしれない。
そのうち、夕陽のだいだいに梅の木が染まり始め、
輪郭がぼんやりと滲み出す。
ご婦人の後ろ姿が黄昏に溶け込み、
梅の精ではないかしら、と、ふと思う。



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2014年3月10日 (月)

待ち遠しいという贅沢

気に入ったダイニングテーブル&椅子がなく、

長い間もらい受けたものを使っていたのだが、
このごろ見つけてしまった。
それで、注文すると、仕上がるのが夏頃になるとか。
「そんなにかかるのん?」
と一瞬思ってしまったけれども、
それならば別のを、というわけにもいかない。
考えてみれば、すっかり消費者マインドになってしまって、
「金さえ出せば即効手に入る」という気でいるが、なんとも傲慢。
それに、そんな状況ばかりが幸せとも限らない。
その「凛とした麗しいお姿」に惚れてしまった弱み。
たまには恋い焦がれてみようか。
いくらでも待ちましょうぞ。
Cocolog_oekaki_2014_03_10_09_47

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